岡南教会の歴史
当教会は1925年(大正14年)2月8日、岡山市丸亀町18番地(現野田屋町)にて創立されました。初代牧師は佐藤邦之助先生です。
この教会には、創立のはじめから「日本人の伝道は日本人の手で」と、「信徒はみな伝道者なり」という二つの標語があり、主の恩恵により信徒も牧師を助けてよく伝道しています。
現在の教会は、日本のキリスト教社会事業の草分け、石井十次先生創立の岡山孤児院の跡地713坪に1991年(平成3年)に完成しました。
(1)岡山独立基督教会
1925年(大正14年)〜1933年2月
(岡南教会50年史より)
「岡南教会」は、1925年(大正14年)2月8日、岡山市丸亀町18番地(現野田野町)の河原醤油店(後に、武用五郎辺衛商店岡山支店)の二階座敷を会堂にして、「岡山独立基督教会」として発足しました。
(岡南教会80年史より)
丸亀町「岡山独立基督教会」の平面図
発足当日は、初代牧師佐藤邦之助師の「小さき群れよ恐るるなかれ」との説教がありました。(岡南教会80年史より)
岡南教会80年史 2005年
内山下天幕伝道開催記念 教育館にて
(昭和3年7月28日)
街道所在地の変遷
(2)桶屋町会堂
1933年2月~1945年6月29日
(岡南教会80年史より)
桶屋町会堂 1933年(昭和8年)
1933年2月(昭和8年)岡山市桶屋町に教会堂が献堂されました。
桶屋町会堂平面図
桶屋町会堂クリスマス 1933年
しかし、この会堂は、12年後の1945年6月29日(昭和20年)の岡山大空襲により焼失しました。
(3)一番町 浅野兄姉宅
1945年8月26日〜1948年
戦災を免れた一番町浅野兄姉宅 (現番町一丁目)を開放、戦後第一回目の礼拝を執行しました。
1948年4月20日(昭和23年) 、焼失した桶屋町旧会堂跡地が緑地帯に編入されることとなり、新会堂を願う機運が高まってきていました。
松本組の設計・施工により、当時下西川町51番地(現柳町)に総工費80万円で、会堂32坪、牧師館CS教室31坪、計63坪の建築契約を結びました。
(4)岡南教会 下西川町51番地(柳町)
1948年8月22日
献堂当時の下西川町(柳町)会堂 1948年(昭和23年)
(岡南教会50年史より引用)
昭和23年8月2日、軍制部代表を初め、350名ばかりを迎えて盛大、かつ厳粛に献堂式を執行した。このことは、全く神の御恩寵と教団及び諸兄姉のご援助のたまもの成りと、御名を崇める次第でありました。
さらに、献堂式終了後、いよいよ一同祈りに祈り、29日の夜第一回の伝道会の火ぶたを切ってより、3回にわたり、開会前、青年男女の10数名、各自太鼓、アコーディオン、タンブリンの楽器を手に、かなり手広く街頭宣伝を打った為か、あの中心街を遠く離れた地区にて、(当時はそういう感じがした)会衆平均120-130名は下らず、しかもほとんど新顔の求道者であるにもかかわらず、その真剣な態度に至っては全く驚くほかなく、この岡南の地に教地を定め、ここに、建設せしめ給いし、大御心の程が知られました。
下西川町復活祭(改修前)
1954年(昭和29年)
1954年( 昭和29年)3月14日 創立30周年記念礼拝
佐藤師の還暦・在職38年の記念を兼ねて行われました。平松長老司会、会衆は300名余、佐藤師の「主は我らの命を捨て給えり、これによりて愛といふことを知りたり。我らもまた兄弟のために生命を捨つべきなり」との説教があり、続いて祝賀式を行いました。
1961年(昭和36年) 野外礼拝
大人100名、児童110名の参加
(教会50年史より)
1971年(昭和46年7月11日)佐藤邦之助師 説教
1年間の入院中5度にわたる大手術を経て、退院後初めての講壇
1973年(昭和48年)3月4日 教会墓所竣工式
鈴木一郎師の司式により行われ、17名の納骨を行われました。献花と感謝状の贈呈が行われ、山本輝正建設委員長の挨拶がありました。
クリスマス礼拝記念
1974年(昭和49年12月22日)下西川町(柳町)会堂
第一礼拝堂
改装なった第一礼拝堂
門田屋敷仮礼拝堂 1984年
(5)門田屋敷への移転
献堂感謝礼拝 1991年6月23日
1991年10月29日 岡山市優秀建築物に選定されました。
1991年10月29日 岡山市優秀建築物に選定されました。
「父の我を愛する如く、我も汝らを愛したり、わが愛に居れ(ヨハネ伝:15-9)
笹尾鉄三郎(岡南教会所蔵)